Kyoto Experimental Economics Laboratory (KEEL)

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研究の概要

1.1 本プロジェクトの位置づけ

哲学には志向(intention)をめぐる論争がある.たとえばNeuman(2007)は,行動主義(be- haviour analysis)の立場から,志向を「行為者の環境にあって,行為者の行為の契機となり,行 為者の行為を理解するために観察者が帰属させるもの」と定義し,それを非行動主義者は「行 為者の内部にあって,行為者に行為させる十分条件として,行為者の行為を説明するもの」と 理解していると批判する.しかし,志向は,観察可能な脳活動や人間行動を記述するときに用 いられる科学用語ではなく,自身あるいは他者の行動を主観的に説明するために使われる概念 である.どの定義が客観的に正しいと断定できず,論争が続く. 1

しかし,志向の定義をめぐる哲学者の論争は,学術的なものにすぎないかもしれない.Malle & Knobe(1997)は,後述の実験に基づいて,普通の人々は,志向についても志向的行動(intentional action)についても,哲学者ほど不統一な見解をもたず,共通の日常心理学(folk psychology) をもつと主張する.すなわち,多くの人々は,図1 に見るように,行為者の欲望(desire)と信念 (belief)で行為者の志向を説明し,志向をもつ行為者がさらに技能(skill)と自覚(awareness) をもつとき,行為を志向的行動(intentional action)と呼ぶと主張する.

図1: 志向性の日常心理学(Malle & Knobe 1997)


1本稿ではintention,intentional,intentionality は,それぞれ「志向」,「志向的」,「志向性」と言及される.た だし,後述のプロジェクトの実験では,intentionally は日本語では「意図的に」と表現され,中国語では「有意」 と表記された.

Malle & Knobe(1997)の志向性の日常心理学で本プロジェクトの研究に重要なのは,欲望 と信念の両方があって初めて志向が認められること,Malle & Knobe が実験哲学(experimental philosophy)の方法に従ったことであるが,まず図1 で分かりにくいかもしれない志向と志向性 (intentionality)の区別と,志向性に限らず様々な哲学的主題について哲学者がしばしば行う思 考実験(thought experiment)について,註を加える.

Malle & Knobe(1997)は,行為者の志向と行為の志向性を区別する.すなわち,図1 に見る ように,「行動が志向的である」ことを「行為は志向性をもつ」と表現し,行為者が志向を持つ だけでは行為は志向性をもつとは限らないと主張する.たとえば,私がゴルフボールをパター で打ったら,ボールがホールに入ったとしよう.たとえ「このパットでボールをホールに入れた い」という欲望と「こうすれば,ボールはホールに入る」という信念を私が強く持ってそうし たとしても,「私は志向的にボールをホールに入れた」と私が本当に思うのは距離が|私の友人 たちがそう認めるより長いだろうが|ある値までだろう.行為者に志向が認められても,行為 者の技能が不十分なら,行為の結果は幸運に帰せられ,志向的に(intentionally)実現されたと は言われない.

思考実験は,想像上の事例を用いて議論の検証や概念の検討を行うことである.有名な例は, Foot(1978)のトロリー問題(Trolley Problem)である.これは,「暴走する貨車が5 人を轢き 殺すのを避ける唯一の方法は,あなたが貨車の進路を変えて別の1 人を轢き殺させること」と いう非現実的だが鮮明な例で「多数の命を助けるために別の少数を殺してもよいか」という一 般的道徳命題を考察するもので,伝統的哲学の中で議論を深められただけでなく,認知科学や 神経倫理学にも影響を与えている.思考実験は,極端な状況を考えさせることで,日常的経験 では曖昧だったり自覚されなかったりする人間の直観を明らかにする.

しかし,思考実験が明らかにするのは,哲学者自身の思索であり,一般人の思考ではない.た とえばFoot(1978)は,極端な状況を設定して一般的道徳判断を彼女自身がどう考えるかを自 省し描写する.他の哲学者がこれに部分的あるいは全面点に同意したりしなかったりして哲学 的論争が始まり,理解が深められる.しかし,哲学者の思弁と非哲学者がどう思考するかは別 の問題である.普通の人たちがどう考えるかは,経験的に明らかにされなければならない.

実験哲学は,トロリー問題など公平や正義など道徳や哲学に関わる質問を一般の人々にして, その回答に基づいて一般の人々の直観や推論を分析する.笠木(2014)は,実験哲学の新しさ は,哲学的考察を哲学者の直感と思弁だけに頼らず,実験心理学の方法すなわち統計的調査を 哲学の諸問題に対する一般の人々(非哲学者)の直観に対して実施してから,調査結果を哲学的 に分析することにあると主張する.

Malle & Knobe(1997)の実験は,思考実験ではなく実験哲学の実験である.具体的には,学 生たちに,(a) 誰かが何かをしていることを記述する多くの例文を多く見せ,各例文の描写する 行為が志向的行動である程度を回答させ,どの行為をどの行為よりも志向的とするかの判断が 学生ごとに異なるかを調べ,(b) 思考的行動を自由に定義させ,定義に含まれる共通概念を抽出 し,(c) ある概念をもつ行動を描写する例文とその概念をもたない行動を描写する例文を見せ, それぞれが志向的行動か否かを答えさせた.図1 は,以上の実験結果の総合である.

図1 はKasima et al. 1998,Malle et al. 2000, Malle 2001 らによって精緻化されたが,Knobe (2003)は,志向性を副作用に認めるか否かについての人々の判断に非対称性を発見した.すな わち,市井で「プロジェクトが環境に悪いことを知らされても,『私は金儲けにしか興味はない』とプロジェクトを実行させたCEO は,環境悪化を志向的にもたらしたか?」と尋ねると肯定的 に答える人々が多かったのに対し,「環境に良いことを知らされても『私は金儲けにしか興味は ない』と無視して新規投資をしたCEO は,環境悪化を志向的にもたらしたか?」と尋ねると否 定的に答える人々が多かった.どちらの質問でも,行為者は副作用に関して信念はあるが欲望 がない(環境への影響を知っているが,それに全く関心がない).それにもかかわらず,副作用 が志向的にもたされたか否かの判断は異なる.これは,副作用の善悪の判断が副作用の結果が 志向的にもたらされたか否かの判断に先行することを示唆する.

Knobe(2003)の発見は,副作用効果(the side-effect effect)あるいはノーベ効果(the Knobe effect)の言葉を生み,副作用の実験研究が進められた.ノーベ効果は一般人の3 分の1 にしか観 察されないという報告(Nichols & Ulatowski,2007)もあるが,就学前の幼児(Leslie,Knobe & Cohen,2006)や,気分(mood)を生み出す脳領域VMPC に損傷をもつ被験者(Young et. al,2006)にも観察されるという報告など,多くは肯定的である.

ノーベ効果の研究のなかで注目されるのは,副作用の志向性の評価と賞罰との関連である. Knobe & Burra(2006)は,図1 を発展させ,「人々は,行為の善悪を判断し,善悪に応じて異な る基準で行為が志向的か否かを判断し,行為者に賞罰が与えられるべきか否かを判断する」と する段階的理論を示した.評価者の心中で本当に志向性の存否判断が行為者への賞罰判断に先 行するかには,議論の余地があるかもしれない.本心は「悪い行為だから処罰したいが,処罰 するためには行為が志向的でなければならないから,行為を志向的だと看做そう」の可能性が ある.しかし,いずれにせよ,他者あるいは自分自身を納得させるためには,志向性の存否判 断が行為者への賞罰判断に先行するものとして説明をするだろう.

Knobe & Burra(2006)は,Shultz & Wright(1985)の実験哲学研究を再発見した.Shultz & Wright(1985)は,ある人が他の人に害または益を(a) 志向的に,(b) 不注意で(negligently), (c) 偶然に(through pure accident)与えた物語を大学生に読み,行為者が結果をもたらした程 度,それに対する道徳的責任,望ましい報賞あるいは処罰を尋ね,学生たちの判断は利益につ いては(a) で,損害については(b) で分かれたという結果を得た.すなわち,学生たちは,利益 を与えた行為者は,それが志向的だったときだけ賞せられるべきであり,損害を与えた行為者 は,それが志向的か不注意だったときに罰せられるべきだと答えた.

行為者に対する賞罰が研究計画に入ると,ノーベ効果は実験経済学の研究領域に入る.実験 経済学は,行為に志向性を認めるか否かなど人間の心の中の問題を扱わないが,他者に利益ま たは不利益を与えた主体に対する報賞あるいは処罰は観察可能であり,研究されているからで ある.これを図2 で説明しよう.哲学者は人間の心の中を語るが,実験経済学者は定量的に観察 可能なものの間の関係だけを論じる.じっさいUtikal & Fischbacher(2009)は,主体Aが自身 の所得をX からX +△X に増加させる副作用として他者B の所得をY からY +△Y (0 ⋚ △Y ) に変化させたとき,再分配主体C がB の所得からA の所得に移す金額Z を実験で観察した.彼 らは,△Y の正負がA の行為に対するC の善悪判断に直結し,A に対するC の賞罰判断がZ の 正負にそのまま表れるという仮定のもとで,ノーベ効果は必ずしも常に観察されないと報告し た.本プロジェクトは,以上の研究状況で開始された.

図2: 実験哲学と実験経済学のノーベ効果の研究

枠組は主体の心を表し,枠内の斜字体の諸概念も,それらの間の矢印も,判断< Ja i > も,他者から観察されない.外から観察可能なものは太字だけであり,実験ではす べて金額で測られる.破線の矢印は,経済学者が仮定する主体の判断である.

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